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百均のカーネーション

 

小学生の頃、母の日に100円ショップでカーネーションの造花を買ってママにプレゼントした。その1週間くらいあとのこと。

由比あたりの海辺の祭りに家族ででかけて、アイスをなめてたら、近くにいた中学生くらいの女の子三人組が、母の日の話をしていて、「うちのお母さん、百均のカーネーションで喜んでたww100円なのにww」「マジwwww」という会話が耳に入ってきた。

そのときわたしは、私もおなじなの!!百均でカーネーション買ったのお!!!すごい偶然!!!と思って嬉しかったんだけど、あとから思い返したら、百均のカーネーション、彼女たちの文脈と私の文脈ではぜんぜんちがうということに気づいた。

 

100えんという安価なものをあげて、それとしらず母が喜ぶ、というのは、彼女たちは笑っていたので、どうやら「ウケる」らしい。とわたしは学んだので、同じように、おばあちゃんに、「100円のカーネーションママにあげたらよろこんでたんだよ、100円なのにね、」って話したら、「なっちゃんはママ思いでえらいね」と返されて、「わらてくれないの…?」となった。

 

時はながれて高校生になった頃、ツイッターがまだいいねじゃなくて星で、リストは半角英数字でしか作れなかった頃、テレビで剛力あやめが出るたびに「妖怪」「ブス」というのがおもしろい、という流れが一部のツイッタラーであった。冷静に考えて全然おもしろくもなんともないのだけど、それがユーモア、という流れが生まれたら、こぞっていろんなアカウントが剛力彩芽の見た目を笑った。

そのときに、なんか、カーネーションのいきさつを思い出した。

いろいろ気にくわないことはたくさんあったのかもしれない、歌がどうとか、事務所のごり押し、とか、でも、剛力あやめの見た目って、そんなにめちゃくちゃ面白いのか、それともそうたいして魅力的でないと思うひとが表に出てるってことが面白いってことになっているのか??レイア姫可愛くないじゃん!!みたいな??(レイア姫はかわいいよ!!)

剛力現象はいろんなところであった。ある音楽家がある政治的な集会に出たことに関して、「世界で認められる音楽家がこんな主張を表明した笑い話を語り継ごう」というツイートが伸びていた。真逆の考えをもつひとたち、対立するイデオロギーの人たちからしたら、たしかに、「あいつあんなこと言ってるよ」って笑えるのかもしれない。でも、ふだんそんなこと話しもしない人から、きゅううにそういうのがリツイートされてきたりするのに違和を感じた。たぶん、「この考えを笑っておけば、ユーモアだ」ってことなのかな、とおもう。

 

 

私が中学生の会話を聞いて、「ああ100円のカーネーションはウケるんだ」と思ってしまったのと同じ流れで、「自分がどう思うかはおいておいて剛力彩芽をブスって言っておけば、ユーモアになるんだ〜」と思う人をみて、なんか、こうやって笑いの流行ってできるのか、と思った。でも私をほめたおばあちゃんみたいに、そこから外れたひとは笑わないし、そういうひとのほうが多いことのほうが多い。